ポリリズミックな雫酒

蔵では雫(しずく)酒の季節です。

雫酒とは低温でじっくり発酵させた醪(もろみ)を酒袋に入れ、小さなタンクに吊るして(袋吊り)自然に滴り落ちる一滴一滴の雫をガラスの斗瓶(とびん。なぜかイタリア製)に採って低温で貯蔵するお酒のことです。
通常の自動圧搾ろ過機(いわゆるヤブタ)で搾るのと違い余分な圧力をかけないので、クリアな部分のみ抽出できますが、その分採れる量は極端に少なくなります。時間もかなり掛かるので、杜氏や蔵人にとっても繊細さや忍耐力が要求されるお酒の濾し方です。

実際の映像はこちら。

 

野村胡堂は「楽聖物語」のなかでモーツァルトの音楽を称して、
「清澄で、明朗で、光輝と愛情に恵まれ、豊醇優麗(ほうじゅんゆうれい)を極めるのがモーツァルトの音楽の特色である」
と書いていましたが、杜氏や蔵人からの愛情を一身に受け、つややかに光り輝く酒袋から澄んだ雫が芳香を漂わせながらタンクや斗瓶に滴り落ちていく様子はまさにこの形容のごとく、視覚、聴覚、嗅覚が複層的に感覚し得る最上級のものではないかとすら思えます。

ご近所(秦野市)の金井酒造店さんは音楽醸造蔵として、麹菌にモーツァルトを聴かせた銘酒「モーツァルト」シリーズを世に送り出されており、おこがましいようですがそのお気持ちもわかるような気がします。

小分けにした酒袋からそれぞれの規則性を持ちながらぽたりぽたりと落ちる雫の音が重なり合い、さらに蔵の外では不規則にゴウと鳴る風の音が重層して、ポリリズミックな音楽(リズムの異なる声部が同時に奏される曲)のようにも思えて来るのです。

ならば吉川醸造では解散が決まったDC/PRG(アフロ・ポリリズム)を聴かせようか、それとも蔵人Yのつくるヒップホップの曲でも聴かせようか、いや出来上がった酒の雫が時間差で蔵元をディスりはじめると困るから止めよう、などと強さを増してきた風の音を聞きながら考えていたところ、数日前に見たニュースを思い出しました。

それはNASAの火星探査機パーシヴィアランス(Perseverance : 忍耐力)が火星の風の音を初めて録音したというニュースだったのですが、「あれ?宇宙では音は聞こえないはず。ひょっとして、衝撃スクープ!NASAは実際には月面に行っていない!的なアレだろうか」と急に気になりはじめたのです。

 


帰って調べてみたところ、神奈川県立湘南台高等学校の山本明利先生の「火星で音は聞こえるか」という文章が私にはわかりやすかったのでご紹介します(リンクはこちら)。

火星面の気圧が7ヘクトパスカル程度(大気はある)なので、音は十分にその大気中を伝わり、音圧も地球上の1/10程度はあるそうです。ただし、観測者がヘルメットなどをかぶっている場合には、音響インピーダンス(物質固有の抵抗のようなもの)がヘルメットの内外でかなり異なるためそこで反射が起こり、音は聞こえないだろうとのこと。

パーシヴィアランスの場合はヘルメット等の遮蔽物がないので、マイクで直接音声を録音することができたということなのでしょう。
もっとも、火星の大気中での音の伝わり方は大変遅く、10m離れたところで発した音がこちらに届くのは翌朝ということも考えられるそうで、火星人指揮者にはかなりの技術が要求されると推察します。だからあんなに手が(略)

 


そろそろいったい何の話なんだこれはという内なる声が聞こえてきましたので、最後に代表的なポリリズムの曲であるホルストの組曲「惑星」から「火星」を紹介すれば、酒と音楽と火星が重層して帰着する、これぞまさに吉川醸造のポリリズミック・ブログになるであろう、と人には言えない喜びをかみしめかけたのですが、ポリリズムで有名なのは「火星」ではなく「木星」でした。
残念です。


GN


宇宙は広大なので、細かいことはどうでもよくなったりしますよね。

Universe Size Comparison by Harry Evett