菊勇、色を好む

お酒の性状を記述する要素として「味」や「香り」があるのは言うまでもありませんが、今日はお酒の「色」やその「見え方」について書いてみます。

「酒で生活に彩(いろどり)をもたらす蔵」と標榜しようかな~などと思っている手前。

日本酒の色?「透明なること水の如くあるべし」なんじゃないの?と思った方は半分正解です。

「炭素ろ過」で色や雑味を吸着させて抜くことが良しとされる時代もありましたが、近年は「素ろ過(すろか)」として酒の色はそのままの方が良いとされることも多いようです。

長い歴史を持つ日本酒ですから、評価基準も昔と今で異なっていることが大いにあり得ることは以前ブログで書きました(書いていないかもしれません)。

 

このネット時代、「日本酒 色」と検索すれば簡単に様々な情報が出て来ます。しかし個人的には、ある時代背景で人々が何を考えて生きていたか、たとえ断片でもよいから当時の目線でその痕跡を採取し、思いを巡らせることに興味があります。

日本酒文化の先導師も標榜しちゃおうかな~などと思い始めた酒蔵ブログとしては、酒の色について書かれた古めの文献(一次資料)にも当たる必要がありますね。

 

「酒譜」 西村文則著 1932年の初版本より。

私はそれほど迄京焼(注:清水焼のこと)の薄手を愛する。あの薄手の白色の其れへ、山吹色の芳醇をなみなみと注ぎ、一寸一口してから、其残酒の盃底を眺めると、すこしく盃底を揺する毎に、鮮やかな色彩の冴えが、幾分油のような粘着力を見せて、盃の地に脚をひきぬらぬらする。これは朱塗の盃などに、よく見るところの一現象であるが、朱色は白地のそれの如く、酒の美しい色彩が見えぬから、当然そそらるべき味覚がともすれば逃げる。だから絵模様などにしても、毒々しい、くどいものは美酒の一部の生命を減殺する。

このあと、清水焼ではない、分厚くて色の濃い「〇〇焼」(敢えて伏せます)のようなものは、酒を注ぐとその色合いが全然わからなくなってしまうから「不愉快でたまらぬ」ほぼ悪口を言っています。

私が1932年当時「〇〇焼」の関係者だったら、「ヘイトではないか」とSNSで炎上させたかもしれません。

 

ただ読み物としてはこの時代のものはやたらと面白いのです。多様化を無条件によしとしていないというか、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり言い切るところが今では新鮮に感じられるからかもしれません。

 

30年ほど時代を下って、

 

「日本の酒」 坂口謹一郎著 1964年の初版本より。

最後に残ったのは色の問題である。昔から酒は「琥珀色」とか「黄金色」または「山吹色」などといって、多少黄色味をおびたものが尊ばれたが、近頃は色のうすいものが好まれ、また同じ黄色でも「番茶色」のような赤味はきらわれて、「青ざえ」がかったものが好まれている。酒は貯蔵を経るほど色を増すから、色の濃さは一方では「なれ」のよさを物語ることにもなるので、外観のみにこだわることはあまり賛成できない。ところが近頃は「水の様」に、ほとんど無色に近い「淡麗」が喜ばれ、酒に活性炭素を加えて、せっかくの色を抜くことが盛行している。(中略)

色よりももっと酒に大切なのは「てり」または「さえ」である。(中略)

酒を唎くときに使う唎猪口は、大きな白磁の深い湯呑みであるが、その底に青い太い「蛇の目」が画かれているのは、専らそれに照り映える酒の光沢を観察するためである。

うちに千万無量の複雑性を蔵しながら、さりげない姿こそ酒の無上の美徳であろう。それはちょうど、太陽の光線が、内に七色の華麗を蔵しながら、何の色も示さないのと同じである。

最後の、太陽の光に例えるこの言い回しが超クールですね。さすが我らが謹ちゃんです。

今から50年以上も前の本ですが、この辺になると現代の評価基準ともほぼ似通って来る感があります。違いとしては先ほど申し上げたように、最近はまた着色のある、例えば古酒のような色合いの酒も「自然なもの」ということで再評価されているということでしょうか。

 

一般的な猪口より大きな「唎猪口(「ききぢょく」「ききぢょこ」)」。蛇の目の白い部分で日本酒の色合いやその濃淡を、青い部分で透明度や輝きを見ます。

山吹色や褐色のお酒は熟成が進んでいることが多く、どっしりとした飲み口でコクのある味わいが想像できます(米と麹、酵母がもたらすアミノ酸と、米のデンプンが糖化されたブドウ糖が反応したものです)。

また、青みがかった透明度の高いお酒は若く、雑味が少なくクリアな味わいを期待できます。淡黄色の光沢があり、少し青味がかかって見える様子は「青冴え」と呼ばれ、良いお酒とされます。

 

みんなで色を見るの図

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待って、そもそも色って何?と今日もまた余談で終わりそうなこのブログなのですが、例えば物理学者のニュートンは「色彩は光そのものである」と言いました。

科学的に言うと「色の正体は光。そして光とは電磁波。赤や青といった色の違いは、電磁波の周波数の違いである」

つまり色の違いは音の高低と同じようなものですから、もちろん周波数として数値化できます。

 

文部科学省の「一家に一枚」シリーズより「光マップ」。久しぶりにこんなにギチギチに文字を詰め込んだPDFを見て感動しています。

これを見ると、可視光線は375~750THz(テラヘルツ)に相当しますから、音に置き換えると1オクターブの中に納まってしまうということですね。(1オクターブ差は周波数が倍)

この狭い範囲のなかで1000万色を識別できると言いますから、人間の視覚というものは凄いものです。

 

蔵人Oの、全てを見通す目。

視細胞には「オプシン」という光の色を捉えるタンパク質が含まれているのですが、皮膚にも同じように、「オプシン」が含まれています。これをもって「皮膚は色を感じている」という研究論文が発表されました。むしろ皮膚は目よりも広い範囲で色を感じ取れるという説で、夢があって面白いなあと思うのですが、その根拠が「赤外線を温かく感じるから」「紫外線には防御するメラニン色素を作って日焼けする」から、というので「それは違う現象なのでは??」と思わなくもなく、現在調査中です。

もし皮膚(唇など)で色を感じることができるのであれば、吉川醸造の理想とする酒器の考え方にも影響を及ぼしそうです。

 

山吹(Wikipediaより)。周波数で言うとだいたい510THzといったところでしょうか。

先ほどの「光マップ」を見てお分かりのように、赤色の周波数をさらに下げていくと「赤外線」、紫色の周波数を上げていくと「紫外線」になります。ともに人間の目には見えません(見える動物はいます)。

 

酔うと「オレにはWi-Fiの波が見える」と言い出す友人がいましたが、2.4GHz帯だったのか5GHz帯だったのか、聞きそびれてしまいました。

お酒の力というのは凄いですね。

 

GN

 

 色即是空。

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