酒器は大事です。(酒器:酒を取り分けたり、供したり、飲むときに用いられる道具全般を指します)
特に猪口(ちょこ)やワイングラスのように直接口に当てる酒器は、お酒と人間の感覚器の両方と直に接する物体ですから、味や香りの感覚に多大なる影響を与えます。素材の質量、形状、テクスチャー、熱伝導率、色彩、透明度、、酒器の多彩な物理的特性だけでも、感覚器官への作用方向が万別となる理由としては十分です。
さらに化学反応的に味(香り)が変わると言われる器もあります。よく錫(すず)の酒器でお酒が美味しくなると言いますが、これは錫のイオン効果で日本酒やワインに含まれるフーゼル油(アルコールを醸造する時に生成される揮発性成分)が溶けるからだそうです。錫の酒器にお酒を注ぐとフーゼル油特有のカドが取れ、口当たりがまろやかになるのです。
「能作」の錫の酒器。縁の部分が指先でも簡単に曲がります。曲げる時にピンという小さな音がしますが、これは錫の分子が擦れ合う音でTin Cry (錫鳴き)と呼ばれるそうです。
日本酒の場合、冷やから燗まで、適正とされる温度のレンジが他のお酒よりも広いため、そのぶん器に対する許容レンジも広く、楽しみ方を幅広く探究することができるのではないかと思います。
最近は日本酒をワイングラスで飲むのが流行していますね。
ケイ酸塩を主成分とする不規則な原子構造をもった砕けやすく透明な固体および液体の中間状態にある物質を偏愛する人間(通称ガラス好き)として、私も「うすはり」の、ボウルがぽってりしてリムが少し広がったグラスは、冷やした吟醸酒に完全に調和すると感じています。
このように、私たちの蔵では酒器のことを、酒と人を繋ぐ重要な回路/装置だと位置づけていますので、杜氏や蔵人をはじめとして全員で気に入った器を持ち寄ったり、季節によってお勧めの器をお客様にご提案したりと、日々飲めや歌えの研究を重ねているのです。
そんなわけでこの春、ライバルの蔵人Oに差をつけるため、こっそりと「陶王子 2万年の旅(柴田昌平監督)」という映画を観てきました。
土器から陶器、磁器、さらにファインセラミックスまでの2万年におよぶ器の歴史を辿るドキュメンタリー映画です。料理やお茶に使われる魅力的な器がたくさん出てきて、「これでお酒を飲んだらいいだろうなあ」と飲欲(造語)を大いに喚起されました。
一般的なドキュメンタリーとやや毛色が異なるのは、狂言回し(ナビゲーター)として出てくる陶器や磁器で出来た「陶王子(の人形)」の存在です。
監督や人形作家の意図だと思いますが、この陶王子は過度に擬人化されるのではなく、何かに動かされるあくまでも抽象的なモノに近い存在として描かれます。
例えば、操る糸を隠すのではなく敢えて目立つように光を当てたり、ストップモーションの入れ方にもぎこちなさを残したりしています。人形の額の真ん中には糸を通すための孔が穿たれていますが、これもずらそうと思えばずらせたはず。
耿雪氏によるこれらの人形は、アルカイックスマイルと言うのでしょうか、感情表現を抑えながらも口元に微笑みを湛えており、角度や光線の加減で喜んだり考え込んだりするように映って、何とも蠱惑的です。光沢や色彩によって表情の遷移の仕方にも差があることは発見でした。
青森から日本各地、中国、エジプト、ヨーロッパ、そして宇宙、、と間をおかずに行き来するので、(観客の理解を邪魔しないよう)狂言回し(の人形)への感情移入量をコントロールしているのだと勝手に了解しました。
登場人物の行動原則に人間的な縛りが薄いという意味で、この時代における人形劇の可能性についても示唆に富んだ映画でした。
何の話でしたっけ。
もう暖かくなってきましたね。
とりあえず蔵人Oを、桜の木の下で器を抱く人形に見立てさせてもらいました(擬人形化)。休憩中にすみません。