平時も有事も掃除が大事

9月24日は「清掃の日」

1971年9月24日に「廃棄物処理法」が施行されたことが、清掃の日制定のきっかけです。
毎年清掃の日である9月24日から10月1日(日本酒の日!)までの1週間は「環境衛生週間」として、廃棄物を減らし、資源の再利用に役立てる活動が全国各地で行われます。

だからというわけではありませんが、吉川醸造でも今季のお酒造り開始に向けて蔵を大掃除しています。

特に今年は機器類の更新もありますし、ずっと使わず屋根裏に置きっぱなしになっていたような物も片付けています。
杜氏や蔵人でも「これは何に使っていたものだろう?」と首をひねるようなものがゴロゴロと出て来るので、100年以上「エントロピー増大の法則」に寄り添ってきたのだなあと感慨深くなります。

屋根裏で途方に暮れる蔵人O
屋根裏 清掃清掃の日掃除の日清掃の日
歴史的価値のありそうなものはきちんと別の場所に片付けました。

理系だった方にはおなじみの、この「エントロピー増大の法則」。別名「熱力学第二法則」(の一部)です。

「物事は放っておくと時間の経過とともに乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、元に戻ることは(絶対に)ない」

例えば写真のようにコーヒーにミルクを入れた場合。必ず左から右の状態に移行し、逆は起こり得ません。エントロピー増大の法則

乱雑・無秩序・複雑の極みだった自分の部屋(当時)を眺めてこう思ったものです。

「この法則、何か変じゃない? 」

論点は3つ。(「3つ」とか書くと深遠っぽい感じが演出できるというのはもう書いたでしょうか?)

①自分が掃除したらこの部屋はきれいになるではないか。「エントロピー増大の法則」に反している。

②そもそも自分自体がこうしてずっと形を保てているのはなぜか。皮や骨がじゃんじゃんばらばらと散らばっていかなければおかしいのではないか。

③人は「自然」を美しいと言う。物理法則(≒自然の法則)である「エントロピー増大の法則」に則した「ゴミ箱のような部屋」を美しいと感じないのはなぜか。


①は掃除しない自分への言い訳に使おうと思っていたのですが、先生が「閉じた系で考える」ことを教えてくれたので解決してしまいました。
部屋を片付けるお前が呼吸したり汗をかいたりトイレに行ったりすることも系の中に含めて考えろ、ちゃんとエントロピーは増大しているんだと。
なるほど。了解しました。

②は難問でした。後にシュレディンガーの説明「生命は、ネゲントロピー(負のエントロピー)を取り入れエントロピーを排出することで定常状態を保持する開放定常系である。」ということらしいのですが、何だかよくわかりませんでした。
また新しい概念ですか、「負の」とか持ち出したらそれは禅の世界じゃないかもう知らない、と思ったものです。

この、夜も眠れないほどではないがぼんやりとした疑問を解決してくれたのが分子生物学者の福岡伸一さんが提唱する「動的平衡」の概念です。
 
「エントロピー増大の法則」に対抗するために、生命は「動的平衡」という手段を講じ、38億年間存続してきました。「動的」とは「常に動いていること」、「平衡」とは「バランスをとること」です。
生命は絶えず自分自身を積極的に壊し(分解し)、作り替える(合成する)という「動的平衡」を繰り返すことにより、エントロピーが増大する前に秩序を作り直し続けて、生命を存続させてきたということです。
例えば、私たちの胃や大腸などの消化器官は約3日で(!)、筋肉は2週間で細胞が全て入れ替わります。

つまり、私たちは常に身体を作り直すことによって、「変わらないために変わり続けている」ということなのです。
うーん深いですね。これって生き物だけでなく、酒造会社のような組織にも当てはまりそうなことです(ひょっとしていいこと言いました?)。

硬く堅牢につくると、エントロピー増大の法則に負けてしまいます。だから生命はあえて最初からゆるゆる、やわやわな感じに細胞をつくっておいて、エントロピー増大の法則が襲ってくるより前に、先回りして自分自身を壊して、新たに細胞をつくり直しているのです。福岡伸一さんのインタビューより)

これでとりあえずは安心して掃除できるというものです。


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「掃除映画」と呼ばれるジャンルがあることをご存じでしょうか?私が今つくった言葉ですのでご存じないはずです。

最近ではタイ映画の「ハッピー・オールド・イヤー」がこのジャンル(私が今。。。)の代表的作品ではないかと思います。
主人公のジーンはモノで溢れかえる実家で"ときめかないモノ"をこんまりよろしくばんばんゴミ袋に放り込んでいきますが、それが今度は人間関係の「断捨離」に繋がって。。。というストーリーです。

古くは小津安二郎の「東京物語」。冒頭からいわゆる江戸ほうきで畳を掃くいたり床を雑巾がけするシーンが出てきます。
東京物語
東京物語江戸ほうきの一種が蔵にもありました。適度な弾力性がよいのです。江戸ほうき
「東京物語」には床に落ちたモノをさりげなく拾って「整える」シーンが何度も出てきます。明らかに何か(ここではおそらく所作の美しさと「エントロピーを減少させる」ことの関連性でしょうか)を意識したものです。東京物語 拾う東京物語

ただ何と言っても掃除映画(ですから私が。。。)としてよく知られるのは「バグダッド・カフェ」でしょう。bagdad cafe

キービジュアルからしてこんな感じです。バグダッドカフェ

この「バグダッド・カフェ」、導入部はかなりの混乱状態として描かれます。カメラワークも不安定どころか「ひどい斜め」と言っていいほど。バグダッドカフェ 

とにかく埃っぽく、絵ヅラもガチャガチャしています。
これが主人公がカフェに入り込んで勝手に掃除を始めるあたりから次第に変化していくのです。バグダッドカフェバグダッドカフェ

(なぜか数時間で)綺麗になる事務所。バグダッドカフェ

混乱していた主人公と女主人の関係も、この時を境にして融和的になっていき、最後は「整った状態」で美しい大団円を迎えます。

ネタバレは避けたいので詳しくは書きませんが、もしこの映画を最後から逆回しにすれば、整った状態からカオス気味の冒頭シーンに移行するわけで、普通にエントロピー増大の法則を遵守した「自然な」映像になりそうです。

ただそれではつまらないですよね。
「掃除映画」の系譜がずっと存在しているのは、このエントロピー増大の法則に抗う人間の営みに共感やカタルシスを覚えるからかもしれません。
(SFで大々的にやったのが映画「TENET」です。「エントロピーが減少する世界では、時間が逆に進んでいるように見える」と登場人物が言っていました。)


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というわけで。
上記③については私なりに「エントロピー増大に抗って変化し続ける人間の営みに、人は物理法則を超えた美しさを感じるのである」と納得することにしました。(いつものように)強引なのは承知の上ですので、いい答えがあったらお教えください。


素晴らしいお酒は、美しく変化していく蔵で生まれるはずです。
蔵人たちよ、変わり続けよう。エントロピー増大の法則に抗って。

蔵の掃除の風景
掃除掃除掃除掃除


何だか久しぶりに酒蔵に関係することを書いたような気がします。
隣の唎酒師Tが「GNさんの机の上が一番エントロピー増大してますね。加速器でもついてるんですか?」と言いたげな表情でこちらをチラッと見ました。


GN


“修理が必要なコーヒーマシン”という歌詞。コーヒーも道具立ての一つ。

Jevetta Steele - I'm Calling You