もう去年のことになりますが、越後伝衛門の加藤さんとメールで近況報告をし合っているうちに夢野久作の短編『瓶詰の地獄』の話が出て来たので(蔵元同士の近況報告とは思えない笑)、以下のような返信をしました。
>『瓶詰の地獄』未読につきアマゾンで買ってみました。
>タイトルからして面白そうです。今まさに吉川醸造もオリジナルの一升瓶をつくって
>その入り身調整や火入れで地獄を見ています。
『瓶詰の地獄』について敢えてここであらすじを書くことはしませんが、「隔絶された環境での人間心理の極限状態」を描いた、強烈な読後感を残す作品でした。これを読んで「よいリフレッシュになった」と仰る加藤さんっていったい...。
それはともかく、私が後半「地獄」と書いているのは、ちょうど一升瓶がパストライザー(瓶に入った状態の日本酒を、熱湯シャワーをかけて加熱殺菌する機械。瓶火入れの進化版)に入れるとかなりの割合で割れてしまうのが切実な問題だった時期です。

特に発泡感を残したいお酒はプレートヒータ―でなくパストライザーを使うのですが、瓶内の圧力が高まって割れに繋がっていることが判明したため、いかに火入れの温度推移を厳密に調整するかということに腐心しておりました。
オリジナル一升瓶も同じように苦労するはずと思って「地獄」と書いたのですが、日本精工硝子さんによる耐圧試験をしっかり経ていたため、色々試してみた結果ほとんど割れないことがわかり、実際には全く「地獄」にならずに済みました。
完成した一升瓶はお客様にも概ね好評で、「お得な一升瓶(容量は四合びんの2.5倍、価格は2倍がデフォルト)をうちの冷蔵庫に入れられるとは!」と喜んでいただけました。

さらには「ガラスびんアワード2025」で最優秀賞に選ばれるという栄誉に浴し、今や「地獄」どころか「天国」と言っても過言ではありません。
というわけで建築設計者時代からのガラスへの愛情(偏愛)がさらに増すという状況となり、受賞者スピーチで「固体でありながら液体でもある不思議なガラスという素材にはロマンがある。ペットボトルではこうは行かない」的な話を大勢の人の前で熱弁してしまいました。
ところが。
さっきGemini Deep Researchで調べてみたところ、現代科学ではガラスは「(結晶性)固体でも液体でもない」というのが正しいようなのです。
(前半大幅に略)
結論として、ガラスが固体であるか液体であるかという問題は、その独特な特性のために長らく議論の的となってきました。過冷却液体としてよく記述され、その形成過程と非常に高い粘度を反映していますが、室温におけるガラスの最も正確な現代的な分類は、非晶質固体です。この分類は、長距離の結晶秩序の欠如と、その剛直な機械的挙動によって裏付けられています。ガラスは粘弾性を示し、弾性と粘性の両方の特性を示しますが、典型的な温度では粘性成分は無視できます。ガラス転移温度は、温度によるその機械的特性の重要な変化を示しています。さらに、広く引用されている大聖堂のガラスが流れる(上部より下部の方が厚い)という神話は、歴史的な製造技術に起因する誤解です。最近の科学的進歩は、液体ガラスやボースガラスのような新しい「ガラス状」相の発見により、無秩序な物質の状態に関する私たちの理解を拡大し続けています。最終的に、ガラスは、結晶性固体とも真の液体とも異なる、粘弾性特性を持つ非晶質固体という独特の物質の状態として存在します。
「大聖堂のガラスが流れる」という部分についてですが、これはガラスが液体でもあると説明するときによく持ち出される話で、大聖堂の大きなガラス窓は上の部分より下の部分の方が分厚い、つまり(液体である)ガラスが年月を経て重力で下の方に垂れ下がったからだ、、、という説です。どうでしょう、それっぽいと思いませんか?
ところが室温での粘度は水が0.001パスカル秒、蜂蜜が10パスカル秒であるところガラス10^13 - 10^14パスカル秒。それこそ液体と呼べるような流動性はほぼありません。
たとえば、中世つくられたウェストミンスター寺院のガラスでの計算では、10億年以上にわたる最大流動は約1ナノメートルにすぎません(絶句)。
厚さの変化を説明するにはあまりにも流れ落ちるのが遅すぎるということで、単に当時のガラス製造の技術では薄い部分と厚い部分ができてしまうというだけだったのです。
恥ずかしっ...。
「こう見えて液体なんですよフフン」と調子に乗ったばかりか、大聖堂のガラスの話を自慢げに披露したら恥の上塗りになるところでした。
今頃恥ずかしくてそれこそ地獄を見ていたに違いありません。
GN
『瓶詰の地獄』万人にはお薦めしません笑
The Police - Message In A Bottle