しばらくブログを書いておりませんでした(存在を忘れかけていました)。
ちょっと前になりますが、面白い記事を読んだのでさらっと。
「ナゾロジー」の記事です。
「雨になってしまいすいません」自分に責任のない問題への謝罪が信頼性を高める
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/136099
雨が降っている日、通行人に「携帯を貸してほしい」とお願いするときに、「雨が降って申し訳ありません」と「過剰な謝罪」をした場合は、相手から電話を借りられる確率が5倍近く上昇したというのです。
本当かよ。
原文にあたってみます。
まずタイトル。“sorry for” ではなく “sorry about” なので「~を残念に思う」ではなく確かに「謝罪する」ですね。
次に、本筋とは関係ないところに目が行きました。
Japanese often apologize even when they are not blameworthy.
日本人は自分に非がなくても謝罪することが多い。
ハーバード大PhDの論文に書かれるとは。
日本人の謝罪好き?は世界的に知られているようです。
謝ってばかりで本当にごめんなさい。
さて本筋。
Results from this field study reveal that a face-to-face superfluous apology increases trusting behavior. Strangers were more likely to hand their cell phone to a confederate when the confederate apologized for the rain than when he did not.
このフィールド調査の結果は、対面での過剰な謝罪が信頼行動を高めることを示している。被験者は、実験者(サクラ)が雨を謝罪した場合、謝罪しなかった場合よりも携帯電話を貸す可能性が高かったのだ。
ナゾロジーの記事の通りです。
とはいえ「携帯を貸してもらえませんか?」これは初対面の人間関係においてかなり難易度の高い要望です。
これによくわからない謝罪をつけたところで、貸したくなる心境になるものでしょうか。
「雨が降ってごめんなさい。携帯を貸してもらえませんか?」
????
携帯を借りられたのは謝罪によって信頼が高まったからでしょうか?
通行人に「この人は危険だ。言うことをきかないとやられる」「天気の子かよ」と思われただけということはないでしょうか。
論文の結論がこちら。
Superfluous apologies represent a powerful and easy-to-use tool for social influence. Even in the absence of culpability, individuals can increase trust and liking by saying ‘‘I’m sorry’’—even if they are merely ‘‘sorry’’ about the rain.
過剰な謝罪は、社会的影響力を行使するための強力で使いやすいツールである。責任がなくても、人々は「ごめんなさい」と言うことで信頼や好感を高めることができるのだ——たとえそれがただ「雨でごめんなさい」という場合でも。
うーむ。
突っ込みどころが多々あるような気もしますが、実は吉川醸造にとって朗報です。
なぜなら我々は日常的に「雨が降ってごめんなさい」「うちの雨降(あふり)がやらかしまして」と半笑いで謝っているからです。(※)
特にイベントの時、やたらと雨が降るのですが(もちろん偶然)、初対面の方とのいい会話の糸口になっているのです。
たぶん。そのはずです。
我々はシマダグループの1社としてKIMONOISTというイベントの協賛をさせていただいているのですが、思い起こせばこれの記念すべき第1回が大豪雨でした。
着物に雨は情緒があると思われるかもしれませんが、こと着物イベントでは惨事以外の何物でもありません。
「ウチの雨降のせいかも(テヘ) ごめんなさいね~」と、当時事務局員だったトオルに謝りましたが、このときは余裕がありました。
翌年の第2回目、同じような豪雨だったときにも「いや~雨降の力にビックリ^^;」くらいのノリだったと思います。
第3回目は持ち直したのもつかの間、第4回目の今年また雨が降りました。
何だか気まずくてもう謝れませんでした。
ところが。
脈絡のない「雨が降ってごめんなさい」が信頼や好感を高める強力なツールであることを、天下のハーバード大が証明してしまったのです。
今後は自信と誇りを胸に、お客様にお伝えすることにします。
「雨が降ってごめんなさい。雨降を買ってもらえませんか?」
と。
以上です。
こんなブログでごめんなさい。
(※)丹沢大山は地形の影響により頂上で雨が降りやすいことから、古来雨乞いの信仰地として知られてきました。 古名が雨降山であるのはそのような事情によります。 今から2200年ほど前に大山阿夫利神社が建立されたのもそれが大きな理由です。
GN
「雨降って地固まる」ですからネ。(by 目黒権禰宜@大山阿夫利神社)
Underworld - Two Months Off