引き続き「酒母=酛」のお話。
「酛」は「もと」と読みます。「畑」や「峠」と同じく国字(日本でつくられた漢字)ですね。
お酒の元(スターター)という意味でわかりやすく、日本酒業界では頻繁に見かけます。
この「酛」ですが、その造り方によって「速醸酛」や「生酛」、「山廃酛」、「菩提酛」、、という風に分類できます。
速醸酛は日本酒全体の9割以上を占めると言われ、お酒のラベルに表記されることはまずありません。逆に菩提酛は数が非常に少ないですし、山廃酛は「山廃」と略すことも多いので、店頭で「酛」という文字を見かけるのは「生酛づくり」のお酒での表示でしょう。
吉川醸造では昨年からこの「生酛づくり」に取組んでいます。
硬水との相性がいいのか、水野杜氏の酒質設計とマッチしているのか、それともその両方かはわかりませんが、とにかくいきなり美味しいお酒が出来上がりましたので、大きな手ごたえを感じているところです。
「生酛造り」について書かれた幾多の素晴らしい文献があり、ここで私が書いたところでそれは屋上屋を架すというもの。
いつも私がご案内しているページを紹介します。
●歴史やその背景については新政酒造の佐藤祐輔さんのブログが流石のわかりやすさ。
「生酛について」
●作り方の違いはわかるけど、速醸酛と生酛では出来上がったお酒がどう違うの?ということについては菊正宗さんのページが簡潔に教えてくれます。
「生酛の研究~生酛酵母のエタノール耐性に関する研究~」
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「酛」の字で思い出したことがあります。(これより余談に入ります)
吉川醸造の営業担当(先導師S、76歳)から「代表G、居酒屋の○○様の店内に置くPOPをつくってくれ。今日中でないと手遅れになる」と依頼?を受けることがあります。
「無茶振り」には「安請け合い」で応えるのが蔵のモットーだとN常務も言っていたので、ここは素直に従います。
POPは文字と画像のバランスが肝(たぶん)なので、文字もお店やお酒のイメージに沿ったものにしたい。
しかし「雨降」のロゴのように大山阿夫利神社の神官の方に何十枚も書いていただいてその中から選ぶというような時間はありません。
PCにインストールしてある既成のフォントから選ぶことにします。
↑フォントはMSゴシック。居酒屋さんのPOPとしてはビジネス感が強く、今ひとつ感じが出ませんね。
↑HG創英角ポップ体。出て来るのがお酒とは限らないぞとニコニコしながら不安感を煽ります。「雨」が可愛いけれど。
色々あてはめてみますがなかなかしっくり来るものがありません。
ここで、全国の和食関連企業で約3割の使用率を誇る(根拠:私の印象のみ)、昭和書体の「般若」フォントを使うことを思いつきます。
偶然にも、今日電車の中で食べた駅弁(美味しかったです)の箱に使われていたのがこのフォントでした。皆様も気づかぬうちに毎日どこかでご覧になっているはずです。
この般若フォントは時折安売りされるので、こんなこともあろうかと以前購入してあったのです。
自分自身の先見の明に驚愕しながら般若フォントで入れてみます。
もとい。
あれ???「酛」が出ない。これではお客様に提供されるのが生酛なのか生魚なのか生贄なのかわかりません。
あらためて「般若」フォントの仕様を確認します。すると。。。
【収録文字】本製品の書体に含まれる漢字は、JIS第1・第2水準文字です。
とあります。これはいったい何のことでしょうか?
JIS第1水準漢字・第2水準漢字は、日本語の情報処理を標準化する目的にJIS (日本工業規格) が定めた定義で、JIS基本漢字とも呼ばれます。
これは平たく言えば「漢字の集まりとその番号(コード)づけ」であり、その最初の規格は1978年に公開されました。
- JIS第1水準漢字 : 2,965文字
- JIS第2水準漢字 : 3,390文字 (1990年改訂前はこれよりやや少ない)
これら約6,300の漢字のうち、誰もが知っているような漢字はことごとく第1水準漢字に含まれ、第2水準漢字は主に馴染みの薄い字で構成されています。
細かな字形違いなどにこだわらなければ、日常的な意思疎通はこれら第1~第2水準漢字でほぼ事足りると言ってよいでしょう。(「フォントナビ」より)
「第1~第2水準漢字でほぼ事足りる」。試しに部首が「酉(ひよみのとり・とりへん・さけのとり・こよみのとり)」の漢字から。読めますでしょうか?
正解はこちら。
少なくとも私にとっては生まれて初めて見た漢字ばかりです。
しかしながら、驚くことにこれらは全てJIS第2水準漢字なのです(だからこそ「般若」に入っているのですが、「釁(ちぬ)る」まで作らなければならなかったフォント製作者の苦労がしのばれます。よく見ると「酉」の形も少しずつ違うし…)。
それなのに「酛」はJIS第3水準漢字だから「般若」には入っていないのです。「般若」に限らず、デザイン性の高いフォントはJIS第2水準までのものがほとんどなので、生酛のお酒のラベルをつくるときにも苦労したのですが、これは少々不思議です。
先ほども書いたように、「酛」は日本酒の元であり母であり、日本文化史における重要な漢字だと思うのですが、JIS第2水準にも入っていないというのはいかがなものか。ドン!
全日本酛協会のロビー活動が不十分だったのではないでしょうか。あるいは反酛派が雇ったロビイストが敏腕だったのか。。。
(ロビー活動やロビイストについてご興味のある向きは映画「女神の見えざる手」をお勧めしておきます。)
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(おまけ1)
活版印刷の聖地、佐々木活字店へ。活版で名刺を作りたいなと思ったのですが、「酛」の文字があるかどうか聞いてみました。するとやはり在庫がないそう。JISの水準がどうというより、需要がほとんどないからではないかとのことでした。頑張れ日本酒業界。
活字の製造販売をされていますが、計700万字あるとのこと!文字がない場合は「作字(別々の偏と旁を合成したりすること)」もするそうですが、やはりそれでは何となく文字として違和感が残るのだそうです。奥が深い。
メタルフェチとしては金属(鉛・すず・アンチモンの合金)の質感と使い込まれて少し角がとれた風情にうっとりします。
(おまけ2)
吉川醸造の蔵書の中でも最も古い部類(明治10年刊)の「酒史新編(青山延光編)」を開いてみました。右の草書はちんぷんかんぷんですが、左の明朝系(楷書)の部分は何となく意味が取れます(「醺」もありますね)。百年後は余裕、千年後もある程度は理解されるでしょう。考えてみれば凄いことです。
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ちなみにこのブログはゴシック系のシステムフォント「メイリオ」で打ち込んでいるのですが、実際に表示されるのは明朝体(「Noto Serif JP」)です。
気楽な冗談のつもりだったのに、明朝体になることで変態度が増すような気がするので、ほとんど読み返しません。。。
GN
フォントがたくさん出てくるLyric Videoの例。メタバース感もありますね。
Armin van Buuren feat. Trevor Guthrie - This Is What It Feels Like