桜の木の下には

蔵の入口にある桜の木が、ようやく満開になったと思ったら早くも散りはじめました。

常務&杜氏やっぱり桜の花は最高ですね。

日本人としてはもちろん、一句詠みたくなりますよね(強引ブログの真骨頂)。

花の陰 あかの他人は なかりけり (小林一茶)

私は江戸三大俳人(他に松尾芭蕉・与謝蕪村)では一茶に最も親しみを感じます。

その諧謔とか韜晦趣味がとても現代的だと思うのですが、この句などは比較的素直な作品と言えるでしょう。

(意訳)
「ブルーシートを広げて宴を始めたら、隣の集団と意気投合して話弾んじゃったことあるでしょ?桜の花の下では誰もが他人とは思えない気分になるよね。
吉川醸造のお酒や花見弁当を囲んで笑い合う人々の紅潮した顔、顔、、、
そういえば「あか」って音で赤らんだ顔のサブリミナル効果を狙ったんだけどわかってくれた?
あと、はな・あか・なか、で韻を踏んでみたわけだよ、ヤバくね?」(完全に意訳)

 

コロナ禍ではこれも懐かしい夢だったかと思われるような情景です。

おととし亡くなったドナルド・キーンは著書『果てしなく美しい日本』の中で、一茶のこの句を紹介しながら日本人の孤独感について表現しました。

そうした祭で喜びが高められるのは、祭が-そして、祭につきものの酒類が-孤独の原因となる社会的障害物を打ち壊すもっとも理想的な機会を作り出すからである。家の中にプライバシーは存在しなくとも、他人に対しては慣習上遠慮深く振る舞わねばならない日本人は、通常はたとえどれほど寂しくても、自分の孤独を外部者に訴えたりしてはならない。日本人にとって、花見はすべての人々との仲間意識を回復する機会なのである。

うーむ、私の意訳は能天気過ぎたのでしょうか。祭事と酒で日本人はやっと他者との距離を埋めることが可能になるのだと。

余談ですがこの本の特に前半は日本に対してかなり冷徹で辛辣な表現も多く、「果てしなく美しい日本」という書名(文庫版が出来たときに改題)は日本人読者に対する言い訳だろうかと訝しんだものですが、名著であることには変わりありません。

桜について書かれた他の部分。

日本に特有なのははかなさの中に美の本質を見出すことである。桜の花が日本の国花と考えられている事実は、それを裏書きしている。桜の花が咲き誇るのはせいぜい三、四日であり、一年のそれ以外の期間は、桜の木はただの厄介な代物に過ぎない。何千という小さな実を結ぶが、食用にもならず、掃き棄てる以外にないし、桜の木は多くの虫ども、とりわけ毛虫どもの大好物なので、夏も終わりのころともなると、桜の枝の下を歩くときは傘をさした方がいいほどである。秋には、他の木々にはるかに先んじて、早々に葉を落としてしまう。だが、わずか数日の楽しみのために、日本人は桜の木に対して寛容であるばかりか、至るところに植えて、純粋にそれを愛する。実際、もし桜花が梅の花のように長い間散らずにいるとしたら、はかなさが少なくなるので、たぶんそれだけ評価も低くなることだろう。

前読んだときは「日本では人々が四季に応答する」というフレーズが印象深かった記憶があるのですが、今回どうしても見つかりませんでした。別の本だったかも。

 

吉川醸造のこの桜、先日造園屋さんに「木の半分が腐っているから、いつ倒れてもおかしくない」と診断されてしまいました。日本中のかなりの割合のソメイヨシノがこのような状態にあるそうです(「ジンダイアケボノ」という品種に置き換えられるところが出てきている模様)。

はかなさが尊重される桜の木とはいえ、長い歳月、酒蔵の人々の生活に寄り添ってきたわけですから、できるだけ長生きして欲しいものです。

さくらさくらと唄はれし老木かな (小林一茶)

 在りし日、吉川の桜の木の下で。木も若い!

 

 

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(おまけコーナー)

「桜が一斉に咲いて、一斉に散るのはなぜ?」

子供のころからずっと不思議でした。木同士で申し合わせているわけでもないのにこんなにぴったりシンクロするものなのかと。
ですから数年前にNHKの「チコちゃんに叱られる!」で答えを知ったときの興奮は忘れられません(比喩表現)。

 

チコちゃんの答え「1本の木から分身していった、全部同じ木だから」

ソメイヨシノはクローンであることが判明しており(遺伝子解析の結果)、各地にある樹は全て人の手で接ぎ木や挿し木で増やしたものである。(Wikipedia)

つまり、日本全国のソメイヨシノは全部同じ遺伝子を持つクローン。だから同じタイミングで咲いて、同じタイミングで散っていくというわけです。

遺伝子が同一であるソメイヨシノ同士では結実しても種子が発芽に至ることはない。Wikipedia)

ソメイヨシノは人間の手を借りないと増えることのできない品種なのです。ですからある日人類が滅んでしまったら、ソメイヨシノも一緒に滅びるのです。


何というはかなさ。

 

GN

 

↓クルアンビンの無国籍グルーブ感あふれる曲。桜が重要な要素となっています。

MVの監督のインタビューを、少し長いですが引用させてください。

"いま世の中のほとんどの人がそうであるように、コロナウイルスのことで頭がいっぱいのときに“So We Won’t Forget”の制作に着手しました。世界中でいろんなことが失われゆく様子をみていて、ときに弔いの儀式すらもままならない状況になりました。世界は多くの思いやりやユーモアであふれているかたわら、権威との衝突や社会が分断されている様子も目立ちました。
このMVのストーリーはもちろんCovid-19とは何の関係もありませんが、この曲が表現している感情とともに、私たちが過ごしている時代の様相がうかがえる映像になっていればいいな、と思っていました。たとえば、孤立感や孤独を感じること。世界にもっと思いやりが欲しいこと。逃げ場と解放感を求めていること。そんなことが反映されていればいいなと思っています。" 
Scott Dungate

Khruangbin - So We Won't Forget