それは前掛け論

木曜日。オフだった蔵人アイが「面白い写真を見つけた」とLINEを送ってくれました。
原当麻にある川魚料理の名店、飄禄玉(ひょうろくだま)さんで発見したとのこと。(「鯉の洗いが食べたくなった」そうです。30代そこそこにしてこの北大路魯山人的チョイス)ひょうろくだま

川端康成 吉川醸造

おお、川端康成ですね。
亡くなって半世紀(今年は没後50年)経つにも関わらず、つい最近も「文豪・川端康成の自伝的BL作品「少年」異例の売れ行き 腐女子からの支持続く」(切れるかもしれませんがニュースのリンク)などというイマドキ感ある記事が出るくらい、言うまでもなく近現代日本を代表する小説家です。

 

+++++

 

文豪と吉川醸造が同じ時代・空間を生きていたのだという感慨に浸るとともに、写真をじっと見ていると微かな違和感が湧き上がって来ました。
飲食店の生簀(いけす)の前で店主さんに請われて(想像)ポーズを取っているにしては、文豪、随分と張り詰めた空気をまとい過ぎではないでしょうか。店主さんと女将さん(?)がリラックスした表情であるのとは好対照です。

釣竿を持つ手にも力がこもっており、川端のところだけを切り取ると、まるで今にもムチを振ろうとしている鬼教官です。
口元には少し笑みを浮かべているつもりかもしれませんが、いかんせん眼光が鋭い。
鬼教官の似顔絵を描いていた手の甲にムチの痛みを感じるほどです。これまでの人生ムチで叩かれた記憶はないので想像ですが。川端康成 眼つき

川端康成川端康成と言えば、家に入ってきた泥棒が、彼に睨まれて怖くなり「ダメですか」と言って逃げだしたという逸話があるくらい、眼つきの鋭い人間として有名で、本人もそれを自覚していたようです。

自伝的掌編小説「日向」にも以下のような記述がありますので、ある種のコンプレックスだったのかもしれません。

私には、傍にいる人の顔をじろじろ見て大抵の者を参らせてしまう癖がある。直そうと常々思っているが、身近の人の顔を見ないでいることは苦痛になってしまっている。そして、この癖を出している自分に気がつく度に、私は激しい自己嫌悪を感じる。幼い時二親や家を失って他家に厄介になっていた頃に、私は人の顔色ばかり読んでいたのではなかろうか、それでこうなったのではなかろうかと、思うからである。(「掌の小説」より)

川端康成 菊勇

 

+++++

 

写真から受ける三者のギャップ。
私が特に店主さんに親しみやすさを感じるのは、前掛けに「吉川醸造株式会社」と書かれているからだけでしょうか?


ここで「前掛けとは何か」を説明してみます。まずその歴史と機能について、前掛け製造販売の「エニシング」様のページより引用させていただきました。(リンク)

(歴史)
日本の前掛けの起源は15世紀にさかのぼると言われています(*諸説あり)。
体の前に掛ける(垂らす)ことから、「まえかけ MAEKAKE」「まえたれ MAETARE」と呼ばれ、働く人たちの腰を守り、衣類の破れやけがを防止することから実用として重宝されてきました。
江戸時代に今の「形」になり、明治時代から「屋号」が染め抜かれ、ユニフォームや広告宣伝としても使われるようになりました。昔の吉川醸造前掛け前掛け 吉川

(機能)
前掛けの役割の第一位は「腰を守るため」。骨盤は体のバランスを整える、とっても大切なところ。
②昔は日本酒のケースやビール瓶ケースなども木箱で出来ていましたから、
それらを運ぶ時、服が破けないように前掛けを肩にあて、荷物を運んでいました。
③決して防火仕様ではありませんが、生地がぶ厚いこともあり、前掛けが、怪我や熱から守ってくれます。
④そして、最後に、前掛けの大きな役割である、「広告宣伝」。歴史的には、日本酒・焼酎の蔵元さんがもっとも多く使われていました。

 前掛け 吉川

杜氏に聞いたところ、②のように試桶(タメ)を担ぐときに確かに使っていたそうです。①については少なくとも吉川に来ていた越後杜氏は腰の上あたりで紐を結んでおり(②をやるときすぐ肩の上に回せるように)、あまり関係ないのではとのこと。「流派」のようなものがあるのかもしれません。

 

…とまあ、このあたりまでが記号論でいうところの「デノテーション(外示。直接的な意味。言語記号の顕在的で最大公約数的な意味のこと)」にあたります。
「また何を言い出すんだ」という声が聞こえてきそうですが、「なぜ自分はこの写真の店主さんに親しみを感じるのか?」「川端康成と店主の間に著しいギャップを感じるのはなぜか?」は上記内容だけでは説明できないのです。

 「コノテーション(共示。二次的意味、暗示的意味のこと)」、つまり「前掛けをしていること」が喚起する個人的・情感的・状況的な意味を導入する必要があります。

私に関して言えば、前掛けをしている人(A)の画像を見たとき、Aは「仕事中である」「実直な性格である」「地域に根差している」「いい人そう」「朗らかな性格っぽい」「温和な」「純朴そう」「昔気質の」。。。あたりの意味を受け取るでしょうし、これには日本で育った方ならある程度同意をしていただけるのではないかと思います。

で、それはなぜ?思い当たったのは「サザエさん」の登場人物、三河屋のサブちゃんです。三河屋 サブちゃん サザエさん

サブちゃんが前掛けを着けていないところを想像してみてください。この二人の関係性がつかめず、かなり落ち着かない気分になるのではないでしょうか。

サブちゃんの存在によって、日本人の前掛けにについてのコノテーションがかなりの程度形成されたのではないかと想像します。メインキャラクターでもないのに。「サザエさん」はやっぱり凄い。

漫画「極主夫道」はこの合意の形成を一歩推し進めて、極道の「不死身の龍」が前掛け(エプロンですが。。)をしているという落差(「ゲイン・ロス効果」の一種)が面白いのです。極主夫道

 

+++++

 

デノテーションとコノテーションからなる意味の二重構造をロラン・バルトは『神話作用』と呼びました。
「雨降」も歴史・偶然/必然の要素を積み重ねて、重層的・複層的な意味を持つ銘柄に育っていって欲しいものです。前掛け 杜氏

杜氏モデルの前掛け。少し丈が長いのです。

 

 

 GN

 

 

人んちの扉を開けると雪国であった。

Radiohead - Daydreaming