蔵の売店に「讃 杉山流」という文字が書かれた絵画があります。
吉川醸造のお酒「杉山流」のファンだと言ってくださっている、フランス在住の洋画家安川博さんから先日いただいたものです。
ありがとうございます!
飾るにふさわしい場所を探しているところです。
+ + + + +
「杉山流」って何のことですか?とお客様によく訊かれます。
「杉山流」は、吉川醸造が昭和中期に教えを乞うた故杉山晋朔(しんさく)東京大学醸造学博士の醸造理念に基づいて醸したお酒の名称です。
杉山博士の教えを今も継承している蔵は全国でも非常に少ないと思われます(推察される理由は後述)。
具体的にどんな醸造法なのでしょうか?
水野杜氏に杉山流の特徴についてのメモをもらいました。さらさらさらと。
水野杜氏、写し間違えていたら教えてください。
<蒸米>
原料米の蒸し工程は通常、甑(こしき)から蒸気が抜けて40分程度で完了する。
杉山流は蒸米の完全なアルファ化が必須との考えで、蒸気が抜けてから75分程度の時間をかけてしっかりと米を蒸す。この結果、米の溶解性がよくなる。
<製麹>
麹造りにおいては、種麹の菌量を多く使用する。米100kgあたり200g程度と、通常の倍。
蒸米を麹室(こうじむろ)に引き込んだ後、室内にてしっかりと放冷を行う(水分量の調整)。
品温31~31.5℃程度で種麹菌を散布する。(32~32.5℃で切り返し、盛り32℃)
菌量が多いので、立ち上がりも早め。34.5~35.5℃で仲仕事、38~38.5℃で仕舞い
最高品温43~44℃とし、以後は品温キープに努める。
室内でしっかりと枯らしを行い、54~56時間で出麹とする(総ハゼ麹)。
<酒母>
「杉山流速醸酛」。
普通速醸酛を仕込む際には、事前の水麹工程で酵母添加を行うが、杉山先生の理念では、乳酸を添加した安全な培地であっても、酵母の早湧きの原因となるとの考え方で、水麹工程での酵母添加は行わず、仕込後、汲掛けと荒櫂(あらがい)を経て、3~4日程度の打瀬、その後ダキ(暖気)入れ開始と山廃酛同様の操作を行い、酵母の栄養培地を十分に整えてから酵母添加を行う。
早湧きは防止され、順調な発酵経過とともにボーメを食い切らせることで力強い清酒酵母のみを培養する。
ざっくり乱暴に言うと「時間と手間をしっかりじっくり掛けるべし!」といったところでしょうか。
そしてどのくらい時間が掛かるのか?ということが一目でわかる「雨降杉山流 純米山田錦(SHIN-SAKU)」の酒母製造帳を公開!
これであなたも杉山流!
世の中の日本酒の9割を占める普通速醸の場合14日ほどで完了する酒母(酛)造り(青字で記載)。
杉山流では倍の28日間を掛けているのがおわかりでしょうか。
酵母を入れる時期が違うことも見て取れます。
さらにこのあとの醪日数が25日間ですから(普通速醸の場合20日間程度)酒母を造りはじめてお酒を搾るまでに2か月はかかることになります。
明治43年(1910)年には江田鎌次郎によって「速醸酛」が開発されています。
とにかくたくさん日本酒が売れていた杉山博士の時代は、当然ながら速醸全盛期です。こんなに時間をかけて造っていたのでは、製造原価上もいいことがありません。
ある意味「時代遅れ」にも見えたかもしれませんし、採用する蔵が少なかったというのも頷けます。
こんなところから、杉山先生は「孤高の醸造学者」と呼ばれます。
吉川醸造では「ロンリー・マエストロ」とも呼んでいます。ついさっきから。
さぞかし頑固で我が道を行く方だったのだろうと思われるかもしれませんが、著書を読む限りそうとも思えないのが面白いところです。
大著「酒造の栞」を私も時折パラパラと開いたりしますが、酒造りにかける情熱の中にさらりとしたユーモアも感じられる文章です。
「吟醸酒」はどんな酒か?という説明。
それでは一体吟醸酒はどんな風味の酒かと云うことになると恰も玉露と同じ様にそれを言葉で表現することは難かしい。然し之を強いて云うならば吟醸酒とは果実様の馥郁たる芳香を有し爽快にして濃醇であり五味が調和し云うに云われない「うまい」風味を持っている酒であると云うことが出来よう。天の美禄(びろく)とは此の吟醸酒の為に用意された言葉ではないかと思われる位その香味は魅力的なものである。(中略)
此処で私は「爽快にして濃醇」と云う風味の表現をした。(中略)だから爽快と濃醇とは矛盾した風味の概念である。此の風味の一致するところに酒のうまさがあり其処に酒の造り方の難かしさがある様に思われる。
「爽快にして濃醇」矛盾した風味の融合は「雨降」シリーズの狙わんとしているところでもあります。
「酒造の栞」のまえがきより。
わからんことや知らんことはわからん、知らんと答えたつて神様でないから支障ないし、又別に不親切ということにもならない。
第1ページ目から「わからん、知らん」を連呼する教本というのは珍しい。
読み進めれば理論と経験を統合する重要性を説いていることがわかるのですが。
然し其の仕込配合がたとえ僅かでも変化して来たことは理窟でなくて実際にいい結果が得られた経験からである。理窟からではなく経験からだければその進歩は遅くなるのがあたりまえである。今日は学問が進歩しているから今日行われている酒造の理論を追求して其の普遍性を確立しなければならない。普遍性が確立すれば其処に又新しい方法も生れて来る可能性もある。いろいろの方法が、ある酒屋では成功しある庫では失敗すると云う様なことは其の方法の誤りでなくて、其の方法に対する理論が確立していないから方法に安定性がないのである。
理論には普遍性があるが、方法はそれから割り出さなければならないからである。
「わからんことや知らんことはわからん知らん」というのは、同じ孤高の哲学者(孤高でない哲学者が存在するのかどうか知りませんが)ウィトゲンシュタインの有名な言葉「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」を彷彿とさせます。
こちらの「孤高」は筋金入りで、生前の逸話も凄まじいものばかりですし、理論も難解で入門書を読んでも最後まで読み通せたことがありません。
「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」。。。そりゃそうだろうと思ったり、わけがわからなくなったり。
ウィトゲンシュタインは1912年(吉川醸造創業年)に「論理哲学論考」を書き始めているので、杉山博士とは時代も分野も違うのですが、お二人に相通ずる何かを感じるのは私だけでしょう…か…。
+ + + + +
安川博さんの絵画に戻りますと、これが何を表現しているのか。何か凄いものだということくらいしか私にはわかりません。
抽象画のようでもあり、具象画のようでもあり。
日本画のようでもあり、洋画のようでもあり。
…語り得ぬものについては沈黙します。
GN
作曲家のヴァンゲリスが亡くなりました。おぼろさけのコードネーム"The NIGHT MIST"はマエストロの曲名の一部をいただいたものです。
Vangelis - Chariots of Fire