今朝の写真です。少し先日の雪が残っていますね。蔵から見る大山は毎日変化します。
蔵に入ってタンクの中を覗くと醪(もろみ)の発酵する、ぽつぽつぽつ…ともざわざわざわ…とも表現できそうな音が聴こえてきます。酵母が糖を食べ、アルコールと二酸化炭素に変化するときにできる泡が弾ける、小さな音の集合体。数十万の命のささやきのようにも感じられ、まさに酒が生き物であることを再認識するひとときです。
水野杜氏はタンク毎の醪の成長の度合いやその日のご機嫌もこの音で聴き分けるそうです。蔵で深夜一人この音を聴くとき、大勢の子供達に囲まれているように感じるとのこと。当初は幼子のように騒がしくはしゃぐようだった声も、成長するにしたがい、繊細でやや大人びた声に変わってくるのだと言います。
思春期に少年から大人に変わる道を探していた汚れもないままの吉川モロミ君の声をお聴きください。そのうち変声期を迎えることでしょう。
窓の外に降りしきる雨のようにも聴こえるかもしれません。以前ブログでご紹介した「酒」という本の中で、酒の別名として「庭雨(にわさめ)」もありましたが、案外このような醪の立てる音に由来しているのかもしれません。屋外ではよく晴れているのに、蔵の中では雨が降っているような感覚。。。
一時期動画サイトに大量に投稿されたASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)音のように、ずっと聴いていたくなるような音(声)だと思いますがいかがでしょうか。
近年、音声(のみの)メディアの隆盛が話題になっています。音声配信のVoicyやSNSのClubhouseなどがそうですね。人間の五感による知覚の割合は、諸説ありますが視覚(目)87.0%、聴覚(耳)7.0%、嗅覚(鼻)3.5%、触覚(皮膚)1.5%、味覚(舌)1.0%くらいだと言われています。視覚と聴覚の情報量には歴然とした差があるのになぜ今音声メディアなのでしょうか。
それは、時代の要請が視覚の優位性を過度に高めた結果、情報の奔流に疲弊した世代が、視覚以外の(比較的鈍い)感覚に癒しを求めるようになったからだと言われています。もちろん今私が勝手に言ったのですが。
私も疲れたり落ち込んだりしたときは一日中、雨の音をループするYouTubeを眺めて過ごします。ええそれも(やっぱり)嘘です。私は嘘は嘘と言う人間ですからご安心ください。
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昨年「マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者が、咳を聴かせるだけで(他に症状がなくとも)新型コロナウイルスに感染しているかどうかを確認可能なAIを開発した。しかも無症状病原体保有者の100%、症状のある感染者の98.5%を特定できるという高精度で!」というュースが流れたときには目(耳)を疑いました。
このような最新の科学系研究発表は電子顕微鏡の映像等の視覚情報として示されることが多いのでそれに慣れていましたが、音声という情報量の圧倒的に少ない(と思われている)ところに目(耳)を付けて、それが新型コロナへのカウンターとして実証されるとは思いもよりませんでした。
画像をクリックすると出典に飛びます。(咳の音声あり)
聴覚情報は視覚情報に劣後する曖昧なものである、という「常識」にとらわれていては、この発見はなかったでしょう。
冒頭の杜氏の話とMITの研究の話、どこかで繋がっているような気がします。
世界はとても面白いところであるという気分になれるのは、こうしたリンクを感じられたときです。
GN
ちょうど一年前の今日、公開されたこのPV。今では見方も聴き方も変わってしまいました。