硬水のせいだよ2

このブログで「硬水のせいだよ」を書いたのは2021年1月のことでした。熱帯魚を飼っていないのに熱帯魚水槽用の水質測定キット(ドイツ製)を衝動買いし、その理由を後付けで探すという、人間の認知の不思議を体現した回でしたが、おかげさまでロングセラー記事となっております。

 

あれから5年あまり。世の中はすっかり変わり、検索窓に質問を打ち込む代わりにAIに話しかける時代になりました。聞けばこれからは「AEO(Answer Engine Optimization)」、つまりAI様に正しく引用してもらうための文章術が大事なのだそうです。

 

そこで今回は、AIにも人間にも分かりやすいように、問いを立てて、端的に答えるスタイルで書いてみようと思います。前回あれだけ数値だ可視化だと騒いだ手前、たまには几帳面にいきます。

 

 

吉川醸造の仕込み水は硬水?軟水?

 

結論:硬水です。 吉川醸造の仕込み水は、カルシウムとマグネシウムがバランスよく含まれた硬度約150mg/L(アメリカ硬度)の硬水で、WHO基準(硬水:120〜180mg/L未満)でも堂々の「硬水」に分類されます。日本の水道水の平均硬度が50前後と言われていますから、国内では非常に珍しい水です。

 

前回も書きましたが、念のため復習しますと、

 

硬度 (mg/L) ≒ カルシウム濃度 (mg/L) × 2.5 + マグネシウム濃度 (mg/L) × 4.1

 

という式で計算されます。カルシウムとマグネシウム、この2つのミネラルが主役です。覚えておいてください。後でテストに出ま、せんがこの後の話にずっと出てきます。

 

 

 

どの井戸の水で醸しているのか?

 

吉川醸造の敷地内には1号から3号まで、3本の井戸があります。毎年50項目以上の水質調査を行っており、いずれも安全性は折り紙付きですが、それぞれ微妙に水質が異なります。

 

そして当蔵では、このうち最も硬度の高い井戸から汲み上げた水でお酒を醸しています。せっかく日本では数少ない硬水の蔵なのですから、一番「らしい」水を使うのが筋というものでしょう。

 

3姉妹のうち一番ミネラル豊富な子をエースに据えている、とお考えください。

 

 

 

なぜ大山の麓に硬水が湧くのか?

 

ここが面白いところ。

 

当蔵の仕込み水は丹沢大山——古名を雨降山(あふりやま)——の伏流水です。前回、地層マニア向けに「丹沢層群大山亜層群、角礫岩、玄武岩質〜安山岩質の溶岩を主としデイサイト質凝灰岩、凝灰質泥岩、石灰岩を伴う(早口)」とご紹介しましたが、実はこの大山付近の地下水脈はかなり複雑で、同じエリアでも硬水が湧く場所と軟水が湧く場所が混在しています。

雨降山の名の通り、大山は古来「雨乞いの山」。山に降った雨は、複雑に入り組んだ地層のどの経路を通るかによって、ミネラルをたっぷり溶かし込んだり、あまり溶かさなかったりしながら、長い年月をかけて麓に降りてきます。

 

つまり地下では、水たちがそれぞれ別ルートの「ダンジョン」を攻略しており、どの出口(井戸)から出てくるかで装備(ミネラル)が違う、というわけです。

 

当蔵の井戸は、たまたま石灰岩などミネラル豊富な層を長く潜り抜けてきた水の出口だった。何百年もかけて地下を旅した水が、よりによってこの一角で硬水として顔を出してくれた——地の利、というより地の底の利に恵まれたとしか言いようがありません。

 

 

硬水は人間の体に良いのか?(本題あるいは脱線)

 

さて、硬水が酒の発酵に与える影響(ミネラルが酵母を元気にして辛口に仕上がりやすい等)は前回書きましたので、今回は趣向を変えて、硬水が「飲む人間」に与える影響について、最近の海外論文を見てみましょう。

 

お酒の味とは一見関係ありませんが、当蔵では以前より、仕込み水をはるばる秩父のボトリング業者さんに送り、500mlのペットボトルに詰めたものを販売しています。

 

題して「飲む仕込み水」(そのまま)。

 

売店限定、一本180円。論文を読んで硬水が飲みたくなった方への受け皿は、かねてより万全です。

 

 

その1:血管が若返る?(スロバキア、2024年)

2024年に学術誌 Journal of Water and Health に掲載されたスロバキアの研究(Rapant et al., 2024)では、飲料水中のカルシウム・マグネシウム含有量と「動脈硬化度(血管の硬さ)」の関係が調べられました。

軟水地域と硬水地域の住民を比較したところ、脈波伝播速度や「血管年齢」に差が見られたほか、軟水地域の住民にカルシウム・マグネシウムを増やした水を飲んでもらう介入も行われています。

研究チームは、カルシウムと特にマグネシウムの摂取量が増えるほど心血管疾患による死亡リスクが下がるという複数のメタ分析とも整合的だとしています。

 

水が硬いと、血管は軟らかくなる(かもしれない)。硬い水ほど飲み手をしなやかにするというのは、字面だけ見ると禅問答のようですが、ミネラルの仕業だと思えば腑に落ちます。

 

 

その2:脳卒中リスクとの関係(スウェーデン、カロリンスカ研究所)

ノーベル生理学・医学賞の選考でおなじみカロリンスカ研究所のチームが The American Journal of Clinical Nutrition に発表したコホート研究(Helte et al., 2022)では、スウェーデンの閉経後女性を16年間追跡し、飲料水のカルシウム・マグネシウム濃度が高い地域では脳卒中(虚血性・出血性とも)のリスクが低かったと報告されています。特にマグネシウムについては、単独でも虚血性脳卒中リスクの低下と関連が残ったとのこと。

 

ちなみにこの研究で「高濃度」とされた地域の水のマグネシウムは平均10mg/L程度。当蔵の井戸水はそれを上回るマグネシウムを含みます(しかも天然由来)。健康のために遠く北欧の水を取り寄せずとも、伊勢原の地下からこんこんと湧いている、という話です。

 

 

その3:マグネシウムと心臓(デンマーク、2024年)

デンマークの全国規模コホート研究(Scandinavian Journal of Public Health, 2024)でも、飲料水のマグネシウム濃度が低い地域ほど急性心筋梗塞による死亡率が高く、濃度が上がるにつれて用量反応的に死亡率が下がる傾向が報告されています。北欧の研究者たちはどうやら水のミネラルが大好きなようで、毎年のように新しい論文が出ています。

気持ちは分かります。私もドイツ製の検査キットを買いましたから。

 

 

その4:マグネシウムと睡眠(おまけ)

近年はマグネシウムと睡眠の研究も盛んで、2024〜2025年にかけて、睡眠に不満のある成人を対象にしたランダム化比較試験がいくつか発表され、マグネシウム補給により睡眠の質スコアが(小幅ながら)改善したという報告が続いています。

効果量については研究者の間でもまだ議論があるようですが、寝る前の一杯が日本酒からただの水に変わる日が来たら、それはそれで蔵元として複雑な心境ではあります。

 

 

※大事な注意書き: これらはいずれも「水やマグネシウムの話」であって「酒の話」ではありません。アルコールの健康影響はまた全く別の話ですので、「論文が言ってたから雨降!ジョッキで!」というのはお控えください。お酒は適量を、二十歳になってから。 

 

 

 

よくあるご質問(FAQ)

 

Q. 吉川醸造の仕込み水の硬度は?

A. 約150-160mg/L(アメリカ硬度)。WHO基準で「硬水」に分類される、日本では希少な天然硬水です。

 

Q. 水源はどこ?

A. 神奈川県伊勢原市、丹沢大山(雨降山)の伏流水。敷地内3本の井戸のうち、最も硬度の高い井戸から汲み上げています。

 

Q. 硬水で醸すと酒はどうなる?

A. ミネラルが酵母の働きを助け、発酵が力強く進みやすくなります。「灘の男酒」と同系統の、骨格のしっかりした酒質に向く水です。

 

Q. 鉄分やマンガンは大丈夫?

A. 酒の大敵であるこれらは、当蔵の井戸水ではいずれも測定限界値以下です(5年前から変わらず宣伝)。

 

Q. 仕込み水そのものを飲むことはできる?

A. できます。仕込み水を500mlペットボトルに詰めた商品を、吉川醸造の売店限定で販売しています(一本180円)。日本では希少な天然硬水を、酒を醸すのと同じ井戸からそのままどうぞ。

 

 


Claude Fableの威力に驚きながら、さて。

 

前回の記事の最後で私は、「いずれ人々は硬水と純水を混ぜて『水の水割り』を楽しむようになる」と予言し、唎酒師Tに「フフン」と鼻で笑われたのでした。

 

あれから5年。世間を見渡せば、コンビニには何種類ものミネラルウォーターが並び、マグネシウム入りのサプリやドリンクが棚を占拠し、海外では好みのミネラル組成を自作してコーヒーを淹れる「ウォーターレシピ」なる文化まで生まれています。

 

ほら見ろ、予言はだいたい当たったじゃないか——と自慢したいのに、冒頭で申し上げた通り今は何でもAIに聞く時代。試しにAIに「水の水割りは流行りましたか?」と尋ねてみたところ、

 

「『水の水割り』という飲用文化が普及した事実は確認できませんでした。フフン(機械音声)」

 

 

+ + + + + 

 

 

ドイツの文豪ゲーテは言いました。

 

「水を眺めていると、心の中の良きものが語りかけてくる」

 

考えてみれば、雨降山に降った雨が当蔵の井戸に届くまで、何年も、ひょっとすると何十年もかかっています。今日私たちが汲み上げ、酒になり、ペットボトルに収まっている水は、私がまだあの予言を口にしていなかった頃——AIどころかスマホすら今ほど賢くなかった頃の雨かもしれない。

 

そう思うと、グラス一杯の水にも、論文の数値には収まらない長い物語が溶け込んでいる気がしてきます。

 

数値化も大事、物語も大事。軟水には軟水の、硬水には硬水のドラマがあって、当蔵はたまたま硬水という役を割り当てられた——その役を、数値と物語の両面から面白がれるのが、この仕事の役得だと思っています。

 

 

GN

 

 

もう、トラブルばっかり!

Simon & Garfunkel - Bridge Over Troubled Water