東京都や神奈川県の一部で酒類提供停止の要請が出されました。
いち酒蔵の立場からすると色々と言いたいこともあるのですが、政治的にセンシティブな問題でもあるので慎重に。。。
「現代の禁酒法」とも評されるこの措置ですが、一般的に「禁酒法」でイメージされるのは、以前ブログでも触れた1920年代のアメリカにおける禁酒法時代のことでしょう。映画「アンタッチャブル」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」などの世界です。
しかし、ここ日本でも、過去に何十回にもわたり禁酒令(法)が出されていたことをご存知でしょうか?法令の名称やその理由は様々ですが、646年の『薄葬令』で(繁忙期に)民の魚食や飲酒を禁じたのをはじめとして、主なものだけでも、746、758、790、806、866、900、1252、1263、1642、1658、1680、1688、1696、1699、1701、1787年、と、それぞれ理由は様々ですが、禁酒令が出ていない時代がこれほど続いている方が歴史的には珍しいのかもしれません。
その中で今回の状況に近いのは、746年(天平18年)の「群飲禁止令」です。疫病(大陸から入ってきた天然痘)で聖武天皇の親族が次々と亡くなったため、人が集まって酒を飲むことを禁じたと言われています。
アフター天然痘の世界では、新しい食事様式もそれまでの取り分け用大皿から個人用の小皿に変わったらしく、当時から既に人の集合による疫病感染が疑われていたことがわかります。歴史は繰り返すというべきでしょうか。。。
「酒ナシではムリかも(746)」と覚えましょう。テストには出ません。
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アメリカの禁酒法に話を戻すと、結果的に密造酒の氾濫やマフィアの暗躍、闇営業する店(「スピークイージー」と呼ばれる密造酒を提供するバーなど)がむしろ増えたことなどから、少し前までは「禁酒法は明らかな失敗」とされてきました。
しかし現在ではその意義を見直す動きもあるようです。酒文化への副産物として、カクテルの文化が世界に広まったことや、飲酒の男女差が小さくなった(非合法な酒場では決まり事がほとんどなかったため女性もお酒を楽しむようになった)ことなどが挙げられています。
ある事柄に対する評価や世界観は時代によって急激に、あるいは緩やかに変わります。歴史的に、人々の価値観が全く逆転したことも珍しくありません。
これをテーマのひとつとして描いたのがノーベル賞作家カズオ・イシグロの小説「浮世の画家」です。時代としてはアメリカの禁酒法が廃止(1933年)される頃から第二次世界大戦の終戦後(1950年頃)まで、主人公の回想で時間軸が去来する形式で描かれています。
主人公の老画家は、第二次世界大戦の戦中と戦後で世間の価値観が真逆に変わったことを、戸惑いながらも諦観して受け止める様子が描かれます。イシグロの小説ではおなじみの「信頼できない語り手」の一人称で進められ、読者も「肝心なことを話していないな」とふわふわした気分で読み進めることになります。ミステリー的な要素もあり、「なぜそんなことが起こっているのか」が最後まで書かれないので、ネタバレせず書くのは少し難しいのです。詳しくは小説をお読みください(レビューの放棄)。
世間の価値観の変動に抗うこともできず翻弄され、漂っていかざるを得なかったことを「浮世(floating world)」と表現したのでしょう。
今回の「禁酒法」も、世間の評価として今はどちらとも言えないかやや否定的なものが目立ちますが、数年後に振り返ると大きく印象が変わっているかもしれません(変わっていないかもしれません)。
酒蔵や酒家(酒屋または酒客のこと)としては小説の主人公と同様、「浮世」というものは、、、と嘆息し諦観する今日この頃です。
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酒蔵目線と言えば、小説の中で主人公が幼い孫に飲酒させようとするシーンがあります。
「ところで、さっき一郎が少しでいいからぜひお酒を飲んでみたいと言ってたよ」
肩を並べて野菜を切っていた節子と紀子は、同時に手を止めて、わたしのほうを振り返った。
「考えてみたが、少しなら味わわせてもいいんじゃないか」とわたしは話を続けた。
「ただ、水で割ったほうがよかろうな」
「ごめんなさい、お父さま」と節子が言った。「それは、今夜、一朗にお酒を飲ませようってことかしら」
「ほんの少しだ。なんといっても、一郎は男の子として成長している。いま言ったとおり、水で薄めたらいい」
娘たちは目くばせをした。今度は紀子が言った。「お父さま、一郎はまだ八つよ」
「水を混ぜれば害はないさ。おまえたち女にはわからんかもしれんが、こういうことは一郎のような少年にとっては大きな意味を持つ。自尊心の問題だ。一郎は一生涯このことを忘れないだろう」
イシグロはこれをノスタルジア(追憶)の表現アイテムとして用いたと思われます。
読者に対して「現代(1986年)とは違う、昔のお話なんですよ」と印象付けるだけでなく、戦争が終わっても「アップデート」されない(古風な)主人公の人物像を浮かび上がらせる道具として。
一応書いておきますが、未成年の飲酒は日本では1922年(禁酒法施行の2年後)に「未成年者飲酒禁止法」で禁止されています。1986年当時でも読者はこの部分に異質な感覚を持ったと思いますし、今の若い人にはもっと強く感じられるかもしれません。小説の最近のレビューでも「8歳児に酒を飲ませようとするあぶない主人公」というものをいくつか見ました。
現在までの100年間を時系列で並べるとこんな感じです。
〇1920年(アメリカ禁酒法施行)
---30年経過---
〇1950年(「浮世の画家」が描いた「現代」)
---36年経過---
〇1986年(「浮世の画家」発刊)
---35年経過---
〇2021年(現在)
こうして並べると、別の感慨がわきませんか。我々には最初の30年や36年の経過の方が圧倒的に長く、価値観の変化も大きく感じられますが、これはどうしたことでしょう。
ジャネーの法則と特殊相対性理論で説明しようと思いましたが、残念なことに今から母屋の熊蜂の駆除をしなければなりませんので、このあたりで失礼いたします。
常務と蔵人(とそれを撮る蔵元)。コロナ防護服のようなスーツは伊勢原市からお借りしました。熊蜂が垂木(屋根を支える木材)をガリガリと削って大きな穴を開け巣をつくって危険なので、可哀想ですが駆除することにしました。
この「駆除」という表現もまた35年後には何と言われるかわかりませんね。「蜂さんとお別れ会をした」と言い直しておきます。
GN
1920年代のNYの動画にニューラルネットワークで着彩したもの。
Englishman In New York - Sting (Cover)